自己否定は必要ない
この世は『鏡』であるとはどういうことでしょうか?
目の前に映された現実という名の映像は、貴方のどんな考え方の反映なのか?
思考が映像化されている。
あなたの内なる世界が象徴的に物質を通して表現されている。
解釈こそが人生になっている。
解釈に正しいも間違いもない。
自己否定は必要ない。
私には間違いというものは存在しないという真理を使う。
人の為にではなく、貴方自身の為に、この『鏡』という現実を使う。
他人に『こうしたらいいのに』思う事は、自分が相手にすべきこと
他人の行為を見て『こうしたらいいのに』と思った時はチャンス。
今そこには、あなたがした方が良い事が映し出されている。
その人が、『こうした方が良い』と見えるなら、あなた自身こそがそうしてください。
他人に向けるアドバイスこそ自分に使う。
他人に思う事を自分自身が実践する事によって、自分を変え続ける。
思わしくない人間関係が、今目の前にあるとして、それが、自分自身のどんな考え方の反映なのか迷った時は、
あなたが相手に『こうすればいいのに。』と思っている事、それこそ、あなたが相手にすべきことだと思って、それを実践する。
すると、いつの間にか、人間関係の修復が済んでいることに気付く。
誰かに否定されたと感じるなら、自分自身を否定しているという事
もしあなたが、誰かに否定されたと感じるとしたら、それはあなたが自分を否定している事の現われ。
他人からの否定を恐れている、たくさんの人がいますが、あなたが何も否定しなくなった時、もう誰かによって否定されるという出来事は起こらなくなってくる。
家族と上手く行かないのは自分に問題があるから?
あなたは、家族と上手く行かないのは、自分に問題があるかもしれない。と謙虚に考える。
自分が変わればすべてが変わると思っているから。
でも、相手が変わらないのは、自分に責任があるからと言う思考を使ってるから。
その発想は、根本的自己否定の現れ。
人を変えるなと言うが、それはあなたが悪いからではない。
現状が気に入らなければ、自分の考え方を変えたらいい。
周りに自分を否定してくる人がいるとしたら
今、あなたの周りに否定してくる人がいるとしたら。
『なんで、こいつはいつも俺のことを否定するのだろうか。』という思いがあるとしたら、ちょっと立ち止まってこの事を考えてみると良い。
『なんで、俺は自分を否定しているのだろうか。』と。
俺が否定されるという事は、俺が何かを否定しているはずだと。
自分に悪いところがあるからに違いない。という観念があると、その想念が、あなたの外界に現れて来る。
あなたの思い通りに、『おまえが悪い』という現実が起きて来る。
外側に現実があると思っている人は、他人から否定されると、即座に反撃を開始して自分の正しさを主張する。戦いがはじまる。
長い闘いに疲れた人は、やがて外側にあるのは幻にすぎない。自分の想念が映っているだけだと悟る。
ところが、二極的思考になりきっている私たちは、
だとしたら、今うまくいっていないのは、自分に問題があるからだと考える。
わたしには克服すべき欠点があるという誤解を信じ込んでいる。
硬い。硬い固定観念。
欠点を悪しきもの、修正すべき点と思い込んでいる。
長い間、欠点を克服する事が人生だという考え方を、人類の集合意識が選択してきたから。
我々には、克服しなければいけない欠点など無い。
どうか、自分は間違いだらけの人間だとか、自分には至らない点があるなどという、全く、何の役にも立たない思い込みを手放してください。
誰が何と言おうと、あなたは、自分が間違っている誤解を信じ込み続ける必要はありません。
その考えが、あなたを否定する考えだから。
苦しさのあまり、『俺は悪くない』と言い逃れをしている人が居る時、自分や他人に、自分は間違ってないと言い聞かせなければならない程、『自分は間違っているかもしれない。』という思い込みがある事に気付いて欲しい。
人が自分と違う意見を言うと否定されたと感じてしまう。
あなたが『こうしよう』と言った時、誰かが『こうした方がいいんじゃない?』と言ったとする。
そんな時、「うっ。」とする感情が出たとしたら要注意。
あなたは瞬間に否定されたと判断している。
誰かが、『自分の意見を言っただけ』だと思えなかったという事。
あなたが否定されたと判断できるのは、あなたの中に『自分は否定されても仕方のない欠点がある』という考え方を持っている場合だけ。
もし、100%自分が完全であると思い込んでいるとしたら、どうして、自分が否定されたかもしれないと思えるだろう。
自分には、克服すべき欠点があるという想念が、100%消えている人は、他人から『こうした方がいいんじゃない?』と言われても、『そうかもしれない。』と即座に人の意見に対応する事ができる。