【皇室】昭和天皇とマッカーサーの会見「私の命を差し出す」(通訳の証言より)
(バワーズ少佐(マッカーサーの通訳)の証言)
あの日はいつまでもわすれません。
奥に立っていたマッカーサーは、力強く陛下に歩み寄りこう言いました。
「これはこれは、ようこそ」
そう言い、陛下の片方の手を両手で包みました。
陛下の手は少し震えるように握られ、とても深くお辞儀をして頭上で握手を交わされました。
マッカーサーは、陛下が、言わば「命乞い」に来たのではないかと思いました。
しかし、陛下は自分を「身代わり」として差し出すと申し出たのです。
「私の命を差し出すので、私の名の下に行動した国民は救って下さい。」
それを聞いたマッカーサーの心に衝撃が走りました。
その瞬間、知ったのです。
目の前にいるのは、受け継がれるべき、とても大切な存在だと。
それは計り知れない理由からです。
昭和天皇・マッカーサー関連書籍
戦後50余年を経て発掘されたGHQ未公開写真の中に「人間天皇」の笑顔の写真があった。それこそ日米戦後史の謎を解明する衝撃写真だった。気鋭のライターが掘り起した元帥と天皇の隠された事実!
日本人が忘れてはいけない終戦秘話
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「世紀の会見」
大震災、内乱、空襲、占領……、どんなつらい時も国民とともに歩み、
歩まれた天皇のお姿を物語で綴る
ベールにつつまれた現代神から、
人間宣言で国民の象徴へ―。
昭和天皇は、世界が激動する苦難の時代を生き抜き、
新しい皇室の役割をも担われた。
その揺るぎのない信念は、平成の皇室にも受け継がれ、
“祈りの旅”は続いている。
昭和天皇は、その生涯に三度、焦土に立った。皇太子として訪れた欧州の、第一次世界大戦の激戦地。摂政として視察した関東大震災。東京大空襲で焦土と化した東京。こうした体験は、「戦争と平和」をめぐる天皇の観念に何を及ぼしたのか。激動する国際情勢のなかで、天皇はどのように戦争に関わり、歴史の「動力」となっていったのか。そして、「昭和の戦争」は、平成の天皇に何を残したのか。「象徴天皇の時代」を大幅に加筆!
講談社創業100周年記年企画として刊行され、高い評価を得たシリーズの学術文庫版、第8巻。本巻では、昭和天皇とその時代を「戦争」との関わりを中心に描く。文庫化にあたり、「補章」として「象徴天皇の昭和・平成」ほか、約70ページを加筆した。
20世紀初頭の1901年に誕生した迪宮裕仁は、生涯に三度、焦土に立つ運命にあった。最初は、皇太子として訪れたヨーロッパの、第一次世界大戦の激戦地。二度目は摂政として視察した関東大震災の被災地。そして三度目は、天皇として体験した東京大空襲で焦土と化した東京である。こうした体験は、天皇の「戦争と平和」をめぐる観念に何を及ぼしたのか。激動する国際情勢のなかで、総力戦の意味を知る天皇はどのように戦争に関わり、歴史の「動力」となっていったのか。87年の生涯を通じて、苛酷な戦争と戦後の繁栄を経験した天皇が生きた「近代」という時代と、敗戦後の「退位論」浮上の背景を究明する。新たに加筆した「補章」では、近年、公開が進む「昭和天皇実録」をはじめとする新資料を通して、「昭和の戦争」が平成の天皇に残したものを検証し、「新憲法」「平和」「アメリカ」「沖縄」などの視点から、「戦後の天皇が象徴するものは何か」を考察する。
[原本:『天皇の歴史08巻 昭和天皇と戦争の世紀』講談社 2011年刊]