3月になって、娘が今年から小学校。
私は正直、ウキウキよりも、変化への不安。心配のが大きい。
少しウキウキしてるかな?くらい。
『学校』と聞いた時。
心がモヤモヤするのはなんでだろう。と考えてた。
私の学校生活。どんなだっただろう。
小学校の時。比較的、友達と遊んだり、楽しい事が多かった記憶がある。
友達関係も、何かには悩みはあったかもしれないけど、仲良しの友達が居る事も、居ない事もあって、
でも心は自由で、その時好きな人と遊んで、自分の世界も比較的守れていた。
でも、子供特有の、残酷な言葉に嫌な想いはしてた記憶もある。
キツイ言葉とか、3人組の中の地味な仲間外れみたいなものとか。
子ども特有の残酷さみたいなものに、傷付く事はあった。
小学生の時は、まだ純粋な子供の心があって、一人で居たければ一人で居たし、友達と遊びたければ楽しく遊んだ。
自由だった。
大人の固定概念に不満を持つこともなく、ただ純粋に、心は自由だった。
中学生になって、他の小学校からも人が合わさって、比較的私が行っていた小学校は平和でのほほんとしていた事に気付いた。
その小学校の雰囲気みたいなものがあるのに気づいた。
中学校になって、ピリピリとした雰囲気を感じていた。
仲の良い友達は不登校になったりした。
また男の子の中に、目立つちょっと悪ぶっている子達?のグループと、目立たない地味な子?達のグループに分かれて、なぜか、ちょっと派手な子たちが『かっこいい』みたいなイメージになっていて、謎の格差みたいなものがついていた。
それの中に居るとステイタスみたいなのがあって、
でも、その中に居ない子の方が、私は、優しかったり穏やかな雰囲気で話しやすかったりして、
謎のグループ分けに、居心地の良さはあまり感じていなかったし、疑問だった。
学校が一つの大国みたいだった。
強い人が権力を持ち、弱い人はバカにされたりしてた。
女の子は比較的穏やかだった気がするけど、本当の親友みたいな人はいなかったと思う。。
中学校は辛かった。
放課後になって『部活だ!』と張り切っていたら、頑張る事がカッコ悪いみたいに思っている子が居て、バカにされて笑われたのを覚えてる。
前日まで、好きと言ってくれていた男の子がいた。ある日告白してくれたけど、お付き合い出来ないと言ったら、翌日から、その男の子の友達にプリントの自分の名前が載っている所を破られたりして、しばらく嫌がらせみたいな事をされた事もあった。
学校に通っていて、
愛ってなんだろうって思う様になった。
大人になると無条件に愛を持っているのだと思っていた。
でも、大人は完璧な愛は持っていなくて、私に対していろんな事を教えてくれる先生や、周りの大人の全てが、私を無条件の愛で愛してくれてはいないのだと気付いた。
子どもの頃は、完璧な愛があると思っていた。
思春期、10代。
いろいろあった。
弱肉強食みたいな時代だった。
自分の中で、集団行動の不快感を沢山感じた。
『思春期』と言う言葉があるけど、子供の残酷さや、大人の残酷さも沢山感じた。
繊細すぎた自分。
平和が良かった。
みんな仲良くしたかった。
穏やかが好きだった。
でも、傷ついたり、傷付けたりした。
傷付いたり傷つけたりしたくないけど、そんなつもりはないけど、たくさんの人の中で、結果的にそうなってしまう事がある。
自分も、周りも、みんな違うから。
今は、自分はエンパスだったと気付いて、周りの情報を感じすぎてしまう事で疲れてしまって居た事がわかった。
現に、『学校が楽しい。』と言っている人も居た。
自分の子供には、自分の様に傷ついて欲しくないと思う。
でも、傷ついて来たから学んだ事もあって、人の痛みを知ったこともあって、今の自分が出来た事もあって、、、
そんな経験をしながら、自分の好きな物は何か。嫌いな物は何か。居心地の良い場所はどこか。どう生きたいのか。
選んで行くのかもしれない。
だけど、子供はエンパスじゃないといいな。と思ってします私がいます。。。
しんどすぎた。
だけど、風の時代になって、もっともっと自由に、軽く生きていけるはず。
子ども達も、もっともっと自由に、軽く、好きな事をして楽しく自分を生きて欲しい。