『カルマ』とは
『カルマ』というのは、大いなる流れが創り出したものではなく、僕たち人間が創り出したものなんですね。でも、人間が創り出した大元には、人間を支配しようとしている存在がいます。
この存在達が、罪の意識を植え付けた訳です。僕たちはここからループにハマって行ったんです。「こんな罪深い事をしちゃったから私は罰せられなければいけない」と自分で判断する事が『カルマ』になった訳です。でも、神は裁いてないので、「それは罪ですよ」「カルマですよ」なんて一言も言ってないんですね。
僕たちが『カルマ』だとジャッジした時に、『カルマ』が生まれるんです。
極端な事を言うと、殺人犯が『カルマ』を負うんじゃないんですね。殺人を犯して「殺してしまった」という罪の意識が『カルマ』をうむんです。宇宙から見たら善でもないし、悪でもない。でもそれは僕たち人間からは理解が出来ない事なんですね。
根本の意識から見た時には、「体験」があるだけなので、例えば「殺される」と言う体験も含まれる訳です。で、「殺される体験がどうしても必要だ」って判断する魂も居るんです。そうすると、誰か殺してくれる人が居ないと困る訳です。そうでないと「殺す」「殺される」の関係性が成り立たない訳です。
人間の視点から見たら、そんなバカなことってなってしまうんだけど、この殺された意識は、殺されるという体験をしたかったのであれば、殺してくれた人に感謝するんですね。頭の意識では無く、魂の部分です。「ありがとう。殺されるっていう体験がどういうものかわかったわ。もう私は思い残すこと無くその先に行く事ができる。」って。
これは、魂レベルから見ると喜びだったりするんです。
だから、これが人間的な、一般的な常識で考える時には、考えに至らない。どう見ても思えない。難しいパラドックスと言ったらいいのか。そうなんですよね。
だからと言って、殺人していいんだよと言っているのでは無いんだけど、この『カルマの法則』というには、そういうベースがありますよって事です。
『罪悪感』『無価値観』と言うものを彼ら(ET)が僕たちに植え付けたんです。
コントロールチップの様に植え付けたんです。コントロールする為にです。
「こんな事しちゃいけないんだ。」って思うでしょ?「上の存在には従わなくちゃいけないんだ」とか。これを植え付けておけば、恐怖で支配することができるんです。
「悪は裁かれる」「正義が勝つ」本当は宇宙には、全く無いものなんですね。「簡単に言うと、正しい生き方をしていれば幸せになる。」一般的に「悪い生き方をしているから悪い事が起きる」では無いんです。
閻魔大王(えんまだいおう)もET。つまり、「幽界」というシステムの中にあるんです。裁かれるとか、ジャッジされるっていうシステム自体は、「幽界」に作られたものなんです。
例えば、僕たちが「幽界」から出られなくする為に、閻魔大王だったり、支配するっていうか、見張りって言ったらいいのかな、そういうものを置くんです。
その「幽界」というのは「アストラル界」とは別に、地球だけに作られた「幽界」のことです。
「幽界」を超えて「アストラル界」に行けば転生が出来る様になるんです。でも、みんな「幽界」にはまるんですね。
それで、輪廻を繰り返します。「幽界」→「地上界」→「幽界」→「地上界」。
(インタビュアー)「地球が島流しの時に作られたシステムです。「幽界」というのは。宇宙の巨大な旧帝国とかいう文明が、そういうシステムを作った。それは2300年前くらいに無くなった時に、ブッダとかイエスが生まれ変わりで。でもその前の習性というか、習慣で、「幽界」に行っちゃう人が多いから、今混沌としているというか。」
そうです。そうです。
本当の事を言えば、この「幽界」と言うのは、消えかかっては居るんです。「幽界」自体が。薄くなって来ているというか。
だけど、今だに残っている部分って言うのはあって、今までの習慣からそっち(「幽界」)の方に流れて行ってしまう。っていう人達がまだ多いんですね。
完全には無くなっていません。
「因果応報」とう考え方
(インタビュアー)「因果応報」という考え方も宇宙の法則には無いんですか?
いえ。「因果応報」というのは「与えたものを受け取る」という意味なので、極端な例を持って言うと、愛を持って殺人をしたとします。すると、愛を与えたんで愛を受け取るんですね。やった行為じゃないんですよね。意図なんです。
愛という行為を、エゴから行った時、「自分が得する為」「周りに認めてもらう為」「評価してもらう為」そういうエゴ、自我がベースになっていたら、その行為では
無く、その人の発した周波数(バイブレーション)をそのまんま受け取る事になります。
(インタビュアー)「例えば、安楽死とかいう時、家族がその人の為にという愛でやったら、それは愛が帰ってくるんですか?」
愛が帰ってきます。でも、愛で行ったことなんだけど、僕たちがやる行動と言うのは、僕たちは完全に覚醒はしていませんから、まだまだ狭い認識力から、判断する事を行うしかない訳ですよね。でも、肉体を脱いだ後に、「あ。あれはちょっとやり方として違ったな。」って気づく事はあります。でも、その時は完全に愛だったりする。という事はあるんですね。
それがね、非常に難しいところですよね。僕たちの人間的な意識で捉えると難しいです。そんな事をしているのにとか、あんな事をしたのにとか、表面的な形にとらわれるんですね。
宇宙は表面的な形には囚われてません。表面的な形はイリュージョンである事をしって居るからです。
バイブレーションが真実という。
だから、僕たちが何を発信しているかなんですよね。
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宇宙は『イエス』しか言えない
「こんなに正しい生き方をしているのに。なんであいつばっかり言い目をみるの。おかしいじゃない。あいつはあんな生き方してるのに。」って常に批判していて、でもやっている事は一般的に正しい。
これは、批判、ジャッジの周波数がバンバン宇宙に放送されますよね。宇宙は放送されたものをキャッチして、『イエス』としか言えないんですね。
だから、『それを望んでるのね。』ってジャッジや、批判をそのまま返してくるので、「なんで私は正しい生き方してるのに、人にこんな事言われなきゃいけないのよ。」みたいな生き方になっちゃう訳です。
それは、潜在意識も顕在意識も含めてです。つまり、顕在意識というより潜在意識の部分が行く訳ですね。だから潜在意識と顕在意識が一致して居ればなんの問題もありません。だから、これが『統合』なんですね。
『統合意識』になってくると、ここ(潜在意識と顕在意識)は完全に『統合』されて全てが一つになって行きます。ちぐはぐが無くなるんですね。
だから、物事が簡単に形になっていくんです。こうしたいと思ったらこう出来る。こうなりたいと思ったらこうなれる。こうやりたいと思ったらこうやれるんですね。やりたい(顕在意識)出来ない(潜在意識)が無いからです。(統合意識になれば顕在意識と潜在意識が違う事は無いからです。)