わたしは19歳から27歳くらいまで約8年間くらい、とある宗教を信じていました。
毎日毎日、仕事が終わると教会に行って、信じている方(教祖様)の写真がある祈祷室で祈りました。
よくわからない自分の罪深さに対して。涙を流して。
そこでは、毎朝は5時の祈祷に合わせて身支度をし、お祈りをしました。
まるで修道女の様に、結婚するまで純潔という決まりがあったり、他にもいくつかの決まりの様なものがありました。
夕拝や、日曜礼拝、月1の決起集会、とにかく毎日のように行事が目白押しで、忙しい日々を過ごしました。
その時に、私はその方が真理を話していると信じる反面、自分には罪があるみたいだけど、その罪がよく解らなくて、『自分の罪が解らない事に悩む。』という様なよくわからない事をしていました。
そして、お祈りをするために、祈祷室に入ると、既に祈祷している人々が涙ながらのお祈りを捧げています。自分もなんだか罪とか解らないのだけど、日々の上手く行かない日常に浸って、とにかく自分に深く酔いしれながら、涙を流して自己否定の沼にハマりまくる。
と言う今になっては、上手く行かない事(ネガティブな感情)にフォーカスして、宇宙に不幸を願うという、悪循環を毎日繰り返していました。
『なぜ、私はこんなにまでして幸せを求めているのに、心が救われないのだろう。』
と繰り返し、繰り返し自問自答しました。
今になってみれば、毎日、自分は罪深い人間だと、ひたすら『自己否定』をし続けているのですから、幸せなんて感じられるはずがありません。
既に全てを持っている自分が、既に幸せである自分が、わざわざ分離して、『自分が嫌い。』『自分は不足している。』と、ひたすら勝手に「辛い」「苦しい」を体験していたのです。
それをやる事が、幸せになる為の方法だと信じていました。
でも宇宙的な観点から考えて行けば、「幸せになりたい。」と思って居る人は幸せになれません。
言い方を変えれば、人類誕生以来、「幸せになりたい。」と願って、「わたしは幸せだ。」を叶えた人はいません。
なぜなら、「わたしは幸せになりたい。」と言う願いは、「わたしは今幸せではない。」と宇宙に願っているのと同じだからです。宇宙は不足からくる願いはそのまま不足を叶えます。
なので、この願いだと、『わたしを幸せにしないでください。』と願っていると同じです。
よって、永遠に『わたしは幸せになりたい。』という状態を宇宙は与えてくれます。
願い方はこうです。
仮に「幸せになりたい。」と願うなら、『わたしは既に幸せだ。』と願いましょう。
世の中は『わたしは幸せだ。』と言う人が、既に幸せなだけです。
だから、宇宙にお願い事をしたい時のポイントは、『(わたしは)~になりたい。』と願わず『(わたしは)~だ。』と既に持っていると願いましょう。
『~になりたい。』は、『わたしには~が無い。』『わたしに~を与えないで。』と宇宙に願うのと同じ事です。
教会でひたすら自己への不足に焦点を当てて、自己否定して居ましたが、その反面、教会でとても幸せに生きている方々もいました。
その方たちと私の違いは、『自分はすでに幸せだ。』と『感謝』の心であるか。それとも『自分は幸せになりたい。(幸せではない。)』と思っているのか。
ただシンプルにそれだけでした。
わたしの中に全てがあります。
わたし達には、全てがあるので、欲しいものをすでに持っています。
しかし、それを得るという体験をしたいがために、一度欲しいものと自分とを分離させて、それを持っていない状態にします。
そしてそれをまた得ると言う体験をしているだけです。(解りやすく『宇宙の法則』を学びたい方はこちら『神さまとのおしゃべり (サンマーク文庫)』)
分離と統合を繰り返して、私たちは遊んでいるんですね。
あなたの願いは全て、100%叶っています。
今ある現実は、全部あなたの思い通りです。
EMMA